知らない顔のあなたに

エンタメと私情

私と乃木坂46

北川悠理さんが卒業する。

 

私は、二回目のブログにして”別れ”をこの場所に置いておく。

なぜなら、私は2年ほど前から「北川悠理さんが卒業したら、自分も乃木坂オタクを辞めよう」と心に誓っていたからだ。

だから今は、ちぎれそうなほどに辛く苦しい私と乃木坂の別れを文字にしておく。まだ北川さんへのファンレターの下書きも終わってないのに。

そう、また現実逃避している。

 

 

逃避ついでにファンレターで何を書くか考えあぐねているので、色々思いつくまま書こうと思う。

 

私が北川さんに”出会った”のは、7th year birthday live、乃木坂を好きになるきっかけをくれた西野七瀬さんの卒業コンサートだ。4期の自己紹介コーナーで、彼女は「声が小さいのがコンプレックスだから」と言って、京セラドームにマイクなしで「ファイト、自分!」と声を張った。私は地元の映画館から観ていただけだったが、確かに心を動かされた感覚をまだずっと引きずってる。

 

それから、乃木坂工事中でメキメキとその面白さと世界観を露呈していく彼女を観るうちに、いつの間にか推していた。

彼女の書く文章が好きで、彼女の撮る空の写真が好きで。

ブログは、北川さんのは全部スクショを撮って、他のメンバーのブログも、彼女の誕生日付近にはチェックして写真を保存して回ったり、北川さんとのエピソードが書いてあったらスクショしたりした。

 

「乃木坂どこへ」「ノギザカスキッツ」「乃木坂スター誕生」は地元では放送されていなくて観れなかったが、一時期huluに入っていたときに北川さんが「はいからさんが通る」を歌った回が観れて、最高に嬉しくて何回も見返したことを覚えている。

 

握手会、ミーグリ、ライブの類いには一回もリアルで行けなかった。正確には行けたけど、私に勇気が足りなくて行かなかった。普通に、”親に相談できなかった”というやつだ。

今考えてみると「そんなアホらしい考えはやめて実行しろよ!」と思うのだけど、もう遅い。

親は私が乃木坂を好きなことを知っていたけれど、なんか言い出せなかった。そんなこと言われたこともないのに、「そんなことに金を使うな」とか言われそうで(お小遣い制ではなく申告して都度もらう感じだったから、ちゃんとした理由じゃないと言い出しにくかったのだ、たぶん)(高校はバイト禁止だったし、唯一できた英検バイトの給料も、乃木坂の配信ライブを買ったらそれで終わってしまうくらいだった)。

 

心底後悔している。

もしこの文章をここまで読み進めてくれた心優しい中高生がいるのなら、私とおんなじだったりしたら、どうかチャレンジだけでもしてみて欲しい。後悔など一つも無いように好きなものを推せ。大学一年生とかいうほとんど同年代からのアドバイスだよ。

 

でも、乃木坂の配信ライブは結構好きだったな。ほとんど推しの卒コンなんだけど。

特に、10年目のバスラ。これは北川さんの話じゃなくなってしまうからここでは短くとどめるけど、あの日画面越しにでも私の青春が蘇ったことは、絶対一生忘れない。

 

 

 

そう、端的に言って、乃木坂は私の青春だった。こういう言い回しはよくアイドルが卒業する時に言う台詞なんだけど、応援する側の私もずっとそう思っている。

オタク友達がいたわけでもなく、現場に行ったこともなく、ただ画面越しに眺めていた私みたいな奴にも、乃木坂は青春をくれた。

新しい音楽に触れて、かわいい歌声に触れる楽しさと新鮮さ。

綺麗で繊細な衣装を隅々まで観察して絵に描くこと。

歌詞を読んで考察し、深く心が動かされる感覚。

ダンスは詳しくないけど、北川さんの手の下ろし方、目線の動かし方、スカートの揺れ方も全部好きだった。

ライブや舞台裏の映像などから見える仲の良さ。

mvの緻密な映像美、その物語の尊さ。

個人pvで輝く個性と、演技。

シンメの尊さ。

選抜/アンダーの残酷さと、そうすることでまた両者が強くなること。

大好きなメンバーが卒業していくということ。

 

青春はもとより、美しくて苦いものだ、と思う。私は青春を自分自身で体感していないから乃木坂にもらったものでしか語れないけど。

だから、卒業は、必要なのだ。

 

 

この真理を、理解しながらずっと受け入れられない。

この真理を受け止めるのが、応援すればするほどに辛くなってきた。

 

思えば、私が乃木坂オタクをしていた五年間、ずっと卒業という話題が乃木坂を付きまとっていたように思う。

生駒ちゃんがMステラストの回のシンクロニシティを観てオタクになった私が、結局西野さんを”卒業”という色眼鏡なしで応援できたのは、「ジコチューでいこう!」の三ヶ月間だけだった。

結局乃木坂を知れば知るほど、1、2期生だけだった時の2014~15年がやっぱり一番好きで、「もうどうしようもないな」と思っていたときに北川さんを好きになった。

 

まあやっぱり、私は北川悠理さんにすがっていたんだと思う。変わっていくグループを戸惑いながら受け止める中で、北川さんは光って見えた。

「これが”推し”ってことか」と深く実感した。

西野さんが卒業してからずっと”なんとなく箱推し”状態だったところから、一気に北川さん単推しになって、グループを見る目も変わったと思う。

 

それで、「単押しってキツいなぁ」とも思った。

 

ライブを観ているとき、カメラが引きの時は目を懲らして推しメンを探す。顔のよりになったら一瞬でも押しが観れたら、と思う。

mvを観るときも大体こんな感じで、いつの日かに「あれ?」となった。

 

昔は、もっとmv楽しめてたよな。

背景美術の美しさ、衣装のかわいさ、ストーリーとその裏に込められた意味。

推しメンが沢山カメラに抜かれる人は幸せだけど、そうじゃない人もいるわけで。

 

ただ、一瞬カメラに抜かれただけで、推しメンはこの苦しさを帳消しにしてしまう、そんな魔法を持っている。

きっと今の私がライブに行っても、双眼鏡片手に推しメンを追いかけ続けていたんだろうなぁ、と容易に想像がつく。

 

そんな感じで推しメンに飢えていたので、卒業間近のこの供給の嵐に、もうついていけてない自分もいる。というか、5年推していても知らなかったことが多すぎて自分の無知さにあきれてもいる。まあ生活環境がガラッと変わって大変ということもあるのだが。

 

とにかくこの一週間は走り抜けなければいけない。

現に今、ファンレターの下書きとファンレターに同封しようと思っている絵、最後にレターで見せたい絵の三つが完成していない。

本当にこんなにちゃんとブログを書いている場合ではないのである。

 

 

ちょっと意味分からないくらい忙しくて、大好きで大好きなものとのお別れという悲しい一週間が、始まってしまった。

もう抜け殻になっても良いから、この一週間だけは北川さんのことだけ考えていたい。

 

明日はファンレターを完成させよう。