知らない顔のあなたに

エンタメと私情

毎朝8時には起きたい

 

サンボマスターはどうして私にだけ語りかけてくれるんだろう。

というか、この感覚を全員が持ってしまうような歌い方が出来るのだろう。

 

 

「ラヴィット!」という変な番組が大好きで、毎朝見ているし見れなかったらTVerで見ている。

「ラヴィット!」を好きになったのとほぼ同じタイミングでお笑いにハマりはじめたので、ラヴィット!が芸人を教えてくれたし、ラヴィットでバラエティの楽しさを再確認していく日々だった。

ラヴィットの根底にある優しさは、多分川島さんが作り出していてそれが本当にあったかくて大好き。

私がお笑いを好きになったきっかけは空気階段なんだけど、2人のラジオでもコントでも全部に溢れている「欠けを愛おしむ」姿勢が何よりも私の心の支えである。

「おかしいね」「面白いね」と他人の欠けている部分を愛おしんで可笑むことができる"お笑い"ってなんて素敵なんだろう。

 

というか、その姿勢に何より自分が助けられて、「こんな自分でいても良いのかもしれない」という思いを抱かせてくれるお笑いは、あの時からずっと私の心の支柱だ。

 

 

 

ラヴィットもそんな姿勢が根底にある番組だと思っていて、何よりも川島さんの眼差しがそれを物語っていると思う。

 

ラヴィットに明確に「救われた」と感じた日を覚えている。ラヴィットが初めてゴールデン特番をやった、「ゴールデンラヴィット!」の放送日。当時は受験生だったから録画して、自分の部屋で勉強していた。

お風呂に入ったあとテレビのチャンネルを変えると、まだラヴィットがやっていて、びっくりしながら寝る準備をしながら見ていた。

2022年のMWL(最も忘れられないラヴィット!)第一位が発表されて、サンボマスターのライブが始まったのだ。ラヴィットのテーマソング「ヒューマニティー」の後、「輝きながら走ってく」を歌った。

あの時だけは、全部の辛さから解放された気がした。共通テストへのどうしようもない不安が全部涙になって私の中から流れ落ちたのか、「不安なままでいいのか」と安堵して泣いたのか、もう分からないけど、確かに救われた。

 

 

ラヴィットがサンボマスターを選んだのはもう必然なんじゃないかと思うほど、サンボマスターの届ける歌とラヴィットの優しさは大きく共鳴して画面の外まで響く。

 

 

 

 

ラヴィットを見ていて何回も体験する「最高の瞬間」には大抵サンボマスターの音が響いていて、あの混沌とした、全員がサンボマスターに夢中な空気は画面を通り越して私にまで伝わってくる。あの空気感を体験するたびに、「テレビってすごいな」と真剣に思う。

 

今日もまたラヴィットはそんな最高の瞬間を届けてくれた。この瞬間を生で共有できたことはずっと忘れたくないような、そういう瞬間。

3/11放送のラスト30分のサンボマスター生ライブ。山口さんの声、息づかい一つでスタジオの空気を操りサンボマスターの空気にしちゃうところ。画面も超えて私の心を揺さぶる音と、スタジオの全員の熱気。全部全部忘れることはない。

 

 

 

ラヴィットが毎朝始まるたび、「ヒューマニティー」のイントロを聞くたびに元気がでる。

 

本当に朝に弱くて毎日辛いのだけど、8時には起きようと思える。

毎朝、眠い目をこすりながら起きる理由があって幸せだと思う。

 

 

2/9

バイトで最後の挨拶をしてきた。

明日が最後の出勤なのだけど。

アイスとたこ焼き奢ってもらった。

本当普通に嫌いでしんどかったし、やっぱりちょっと嫌やなって感じだけど、少し楽しかった。

こうやって大人になっていくんだなと思った。大人になりたくないな。

 

でも辞める決断をして本当に良かったとは思う。

何回も心が死にかける気持ちを味わったので。

 

お菓子何買っていこう。

喫茶店の目の前で

indigo la Endのアルバム「哀愁演劇」。やっと聞けた。

いつも新曲とかアルバムが出ると、大切に聞かなくちゃと思って全然聞けずにいるので、今回はなかなか早めに通しで聞けて良かった。

 

凄い。言葉にならないくらい凄かった。

前のアルバム「夜行秘密」が、全曲最高で大好きだったんだけど、ちゃんと超えていて凄い。絵音くんはいつも「最新が最高」を出来ていて格好いい。

 

 

 

特にすきだったのは「芝居」「愉楽」「暗愚」「Gross」。

インディゴはただでさえ暗いバンドなんだけど、その中でも一際暗い曲が大好きです。

 

 

 

夜行秘密の「晩生」くらいからインディゴの格好よくて爆発的な感じがすきなんだけど、「芝居」はそれを更に色っぽくした感じでよい。暗くて鬱屈としてて投げやりで、でも何より繊細な表情があって大好き。

最後のサビの泣きそうな感じが、繊細で悲しくて良い。

 

 

「愉楽」は艶やかでダークで少し悪そうな感じ。最初の歌い出しが低いのでサビの高音の艶感が増してて凄く良い。たしかに暗い曲なんだけど、深夜に静かに踊り出すような感じがあって素敵。サビの「愉楽に溺れて踊ろうよ」の「愉楽」の発音が好きです。

 

 

「暗愚」、かなり心に来る曲。でもこの暗さが、いつかの私を助けてくれそうな曲。

絵音くんが言及していたらしい「喫茶店の目の前で」の歌い方が本当に良くて、そこを聞いた瞬間に固まってしまった。MVPだと思います。

あそこのためだけに聞きたいくらい素敵。

 

 

「Gross」、少しゲスっぽい感じもありつつめちゃくちゃ暗くて良い。後半にやっと来るサビで泣いてしまう。「僕のままでいようよ」と、それでもまっすぐに歌ってくれるバンドで、大好きです。Grossの意味を知って少し固まりました。

 

 

 

 

夜行秘密のときよりも既存曲が多く入ってるイメージなんだけど、新曲が全部良すぎたので満足感がすごい。あと「瞳のアドリブ」って、最近出たはずなのになんか初期のインディゴっぽさを感じる。

 

 

もっと聞き込みたいし、「カンナ」のmvもまだ観れてない。

初回限定版を買ったので特典映像も早く見なくては。フリーライブのアーカイブだって見れていない。

楽しみが多くて、供給が沢山で幸せ。

 

 

1月のライブを楽しみに生きる毎日。

 

微熱と踊り場

大阪で一人暮らしをして初めて体調を崩した。

人生で二度目の高熱を出して、コロナになってしまった。

今はまあまあ元気なので記録をつけておこうと思う。

 

 

マンションの外側がうるさい。

コロナが分かった最初の日はとにかく熱が高くて頭の一部分が脈打つように痛かったのでとにかく寝たんだけど、熱は1日くらいでおさまった。

でもまだ喉が痛い。ずっと乾いているような感じ。

倦怠感と頭痛もまだする。ご飯がおいしいのはよかった。

 

 

映像をみるのが少ししんどいので(とはいえ見てる)、ラジオを聞き続けているのだが、聞いているのは大抵「空気階段の踊り場」をSpotifyで。

高2の秋に聞き始めて、高3の夏から過去回をさかのぼって聞いているのだが、最近ようやく自分が聞き始めたところに追いつこうとしている。

 

特に好きなのは、かたまり号泣プロポーズ回と駆け抜けてもぐら回、そしてやっぱりキングオブコント優勝記念生放送回。

聞けば聞くほど二人の人間的欠けがあらわになっていく感じが、とても愛おしい。時に全力でぶつかって、支え合って、可笑しみを分け合って。30分とは思えないくらい熱くて、とにかく面白い。(ずっと聞いていて、ようやく1時間番組に変わったところ)

 

 

 

そういえば、私の大学受験のタイミングでもぐらが離婚発表をして、当時は全然聞いていなかったけど急いでradikoのタイムフリーを学校で聞いたな。

 

学校の自習室で静かに泣いた。

ずっとリアルタイムで聞いていた人はより辛かったかもしれないが、私にとっては、もぐらがともみちゃんと付き合ったのも結婚したのもたつまるが生まれたのもつい最近のことだったし、べんじろうは生まれてもなかったから、とにかくショックだった。

ただ二人で「頑張りましょう」と繰り返す中に、もぐらとともみちゃんの、空気階段の、五年を感じた。

 

 

岡野陽一さんが出る回は全部好きだ。岡野さんも愛すべき欠けを沢山持っていて、あんなに無防備にさらけだせる人はいないと思う。

空気階段の二人が岡野さんのネタが大好きで、芸人として大尊敬しているところも良い。

 

岡野さんがくると二人のテンションが3割増しくらいになって、たいていアフタートークで岡野さんの恋愛事情が深掘りされるのも好き。

最近のアフタートークにおけるもぐらの遅延行為のノリとか、本編より長引くしりとりも何故か聞いてしまう。

 

 

 

アフタートークで言うと、シナデクロ先生のメールの大ファンである。シナデクロ回だけまとめて聞いてしまうくらい好き。

謎の文章構成と素晴らしい文章力、それを完璧に再現するもぐらのメール読み、シナデクロのメールだと気づいた時のかたまりのリアクション、全部が大好きで毎月めちゃくちゃ楽しみにしていた。

今は不定期になってしまっているけど、アフタートークのサブタイトルに”シナデクロ”の文字があるとすごく嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

私は空気階段からお笑いを好きになったのだけど、ラジオを聞くようになったきっかけは「Creepy Nutsオールナイトニッポン0」だ。

高2の6月にふいに存在を思い出して、それまではラジオなんて全然聞いていなかったのに急に聞きたくなってradikoを開いた。二人のノリもヒップホップの専門用語も全然分からなかったと思うのに、「とても面白かった」という感情だけはすごくよく覚えている。

あれから、youtubeの違法アップロードを漁ってまで過去回を聞いて、最新回が放送されるたびにradikoで聞いた。

”0”がとれてからぱったりと聞かなくなってしまって申し訳なかったのだが、これもまた受験期に、「終わる」というニュースを聞いてから数週間、勉強のお供に聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

Creepy Nuts空気階段も、私に「たりない」ことを許してくれる。誰かの欠けをおかしみあいながら肯定してくれる。その優しさに気づいてから、自覚的にそれに頼る自分を少し嫌いつつも、その優しさにやっぱり依存している。

 

 

私は自分の欠けを自分では肯定できない弱い人間だ。

 

自分では自分を愛せないから、他の自分に似ている誰かを愛することでバランスを取ろうとしている。

 

 

 

 

こういうことに気づいてから、また自分を嫌いになる材料が増えて、自分で自分の首を絞めにいってる自分をまた呪う。

 

 

 

 

 

 

そんな自分を助けてくれるのがやっぱりラジオで、お笑いで。ラジオを聞く時だけは、バカみたいな下ネタで笑って、たまに真っ正面から私を肯定してくれる。

 

 

 

ラジオが好きだ。

ラジオのある世界に産まれてきて良かった。

 

 

 

 

 

スキップとローファー

 

今日一日でアニメ「スキップとローファー」を全て見てしまった。

 

漫画を少し読んでいたので、漫画で進めたいからとためらっていたのだけど、見て本当に良かった。

漫画を読んでいたからこのアニメに出会えたのかと思うと『あの時読んでいて良かったな』だし、これから漫画を追う楽しみもできて一石二鳥だ。

 

 

特に良かったのが、原作への愛がひしひしと伝わるオープニング。

もうこれだけでも良いから見て欲しいというくらい。

 

爽やかで、青くてみずみずしい曲と、メイン2人の初々しく可愛らしいダンス。

ダンスがかわいいのはもちろん、その見せ方の演出がロマンティック過ぎて泣きそうになった。2人の、お互いにだけみせるような表情が素敵すぎて、私が見ていいものなのか?とか思いながら泣いた。

 

(以下、本編ネタバレ)

 

 

 

 

 

石川県の端っこから東京の進学校へ転校してきた岩倉みつみとその友人たちとの青春のお話。

 

正直にいうと、嫉妬でちゃんと見れないシーンもあった。それくらい高校生の記憶が近すぎるので。

 

でも、あの瑞々しさと優しさに満ちた世界はすごく尊くて、ずっと見ていたくなった。

 

 

 

温度感のちょうど良さ、バランスがすごく上手くいっている作品なんだと思う。

誰かの視点から見たら嫌な人でも、その人にはその人なりの事情がある。でもだからといって「全員本当は良いやつなんだよ」的な圧もなく、「嫌な人はいる」くらいのきっぱり加減がちょうど良い。

言い訳がましくないけど、あくまでみつみちゃん主人公の路線を外れずに他の人たちの考え方を教えてくれる。

 

そしてやはり、みかちゃんにどうしても目がいってしまう。たぶん私に似てるので。恋愛、というか「かっこいい彼氏がいるキラキラ女子」を理想に掲げていることは私とかけ離れているのだけど、「他人からこう見られたいがために自分をガッチガチに覆う」苦しさは私にも痛いほどよく分かる。

 

あとまことちゃんにも私は親近感を覚えた。

まことちゃんとゆづきちゃんとみつみちゃん、仲良くなるまでの描写はあまりないけど、そこも含めての間の感じが良い。呼び名や三人の距離感でこちらに教えてくれる感じが。(みかちゃんと三人は別の時間をかけて仲良くなったという認識)

まことちゃんの、仲良くなった人にはとことんマイペースな感じが大好きです。

 

 

物語の土台は東京、みつみちゃんの通う高校なのだけれど、たまに訪れる石川でのシーンも印象的だ。家族やふみちゃんの、みつみちゃんを「分かっている」感じがたまらなく良い。みつみちゃんはちゃんと石川で愛されていたんだなぁ、と。

特に、受験で暗くなってしまったみつみちゃんを、ふみちゃんが外に連れ出すシーン。

机いっぱいの料理をちょっとずつ食べながら泣くみつみちゃんに、大学受験の頃の私を重ねて見てしまって、あのとき支えてくれた友人を思った。ああいう優しさって多分一生忘れないし、ふみちゃんの優しさを深く感じた。

 

 

このアニメはシンプルな線だけどキャラの描き分けがうまくて、美人がまあまあ出てくるんだけど、「生まれながらに何かを持っている人」の苦しみもちゃんと肯定されていて良い。

全員の苦しみとかわいさをひっくるめて愛している感じが、画面全体から伝わってきて、制作陣の愛をとても感じる。

 

 

 

 

原作もとっても良いし、そこへのリスペクトが伝わるアニメも素晴らしかったです。観れて良かった。

 

原作もしっかり追おうと心に決めました。アニメ2期も見たいけど。

 

 

 

 

 

 

ここにしかないどこかへ

最近は、銀杏BOYZの「エンジェルベイビー」をバイブルにして生きている。

 

きっかけは、好きな俳優の若葉竜也さんのインスタライブ。彼は記録が残されることを嫌がるだろうが、無断転載ではないので自分的にはOKなラインだと思って書く。それほど感動したのだ。

彼がインスタライブで歌っていた曲をできる限り記憶してプレイリストも作った。

まあそんななかでも、エンジェルベイビーの弾き語りに泣いてしまった。

 

 

私が最初にエンジェルベイビーを聞いたのは、ラジオ「空気階段の踊り場」のキングオブコント優勝記念生放送回だった。

私はKOC優勝をきっかけに空気階段に興味を持ち、はじめて踊り場を聞いたのだけど、もぐらの前口上からの峯田さんサプライズ登場、生歌披露の流れで号泣してしまった。

 

そのころは、受験に人間関係に鬱屈がたまっていて、リアルに毎日泣きながら学校に通っていたから。

 

「俺とお前はひとりじゃない」って言い切ってくれたもぐらと、あまりにも格好いい峯田さんの歌声は、確かに私を救ってくれた。

 

その後、エンジェルベイビーは私にとって確かに大切な一曲になり、踊り場リスナーになって、空気階段銀杏BOYZの関係性を理解した。その背景を知ったらあの放送はより深く心に刺さるのだが、あのときの自分はその言葉だけで救われたのだ。

 

 

 

話を現在形に戻して、先日の若葉さんのインスタライブ。

久しぶりにエンジェルベイビーを聞いて、第一声で気づいて泣いた。

若葉さんの歌声が好きだ。優しくて、やわらかいのに芯に響く歌声。地声は低いのに歌声はちょっと高くなるのも好き。

彼の声で歌われるエンジェルベイビーが、なによりも優しくて、安心して泣いていたんだと思う。

 

 

今は、はじめてエンジェルベイビーを聞いたときとはまた違う寂しさにとらわれている。

大学生になって、だんだん社会というものに触れ始めて、改めて自分はひとりぼっちだと気づいてしまった。良い意味でも悪い意味でも。

というか、自分ってやっぱり少数派の人間なんだなと思うことが増えた。

大学でもバイト先でも、人にうまく心を開けない。社交性が皆無なことに気づいた。

 

高校まではそれでも分かってくれる友人に恵まれていたし、何より中高一貫だったから社交性とかなくても大丈夫だったのだ。

 

でも大学に来て、違う環境で暮らして。本当に土地で人柄が違うことを感じている。全員が全員、という訳ではもちろんないけど、明るい人の数が多くてびびってる。

根っこが暗すぎる私には少し辛い。

 

 

 

年齢や環境によって聞く音楽は変わるものだと思うのだけど、今はウルフルズ銀杏BOYZがとても胸に来る。相変わらず川谷絵音は天才だし、サカナクションみたいな音楽も好きだけど。

 

昔はむしろちょっと苦手だったくらいの、まっすぐで泥臭い歌詞を、何回もなぞってしまう。

「どうして僕いつもひとりなんだろ」から始まるこの歌詞が、どうしようもなく心に来る。

峯田さんの、叫ぶような歌声はどこか寂しさをはらんでいて、ずっと消えなくて。峯田さんの歌声はどうしようもなく悲しくて優しくて、一緒に叫んで泣きたくなる。

 

 

今年は、銀杏BOYZをもっと聞けたら良いな。

 

 

 

 

 

私と乃木坂46

北川悠理さんが卒業する。

 

私は、二回目のブログにして”別れ”をこの場所に置いておく。

なぜなら、私は2年ほど前から「北川悠理さんが卒業したら、自分も乃木坂オタクを辞めよう」と心に誓っていたからだ。

だから今は、ちぎれそうなほどに辛く苦しい私と乃木坂の別れを文字にしておく。まだ北川さんへのファンレターの下書きも終わってないのに。

そう、また現実逃避している。

 

 

逃避ついでにファンレターで何を書くか考えあぐねているので、色々思いつくまま書こうと思う。

 

私が北川さんに”出会った”のは、7th year birthday live、乃木坂を好きになるきっかけをくれた西野七瀬さんの卒業コンサートだ。4期の自己紹介コーナーで、彼女は「声が小さいのがコンプレックスだから」と言って、京セラドームにマイクなしで「ファイト、自分!」と声を張った。私は地元の映画館から観ていただけだったが、確かに心を動かされた感覚をまだずっと引きずってる。

 

それから、乃木坂工事中でメキメキとその面白さと世界観を露呈していく彼女を観るうちに、いつの間にか推していた。

彼女の書く文章が好きで、彼女の撮る空の写真が好きで。

ブログは、北川さんのは全部スクショを撮って、他のメンバーのブログも、彼女の誕生日付近にはチェックして写真を保存して回ったり、北川さんとのエピソードが書いてあったらスクショしたりした。

 

「乃木坂どこへ」「ノギザカスキッツ」「乃木坂スター誕生」は地元では放送されていなくて観れなかったが、一時期huluに入っていたときに北川さんが「はいからさんが通る」を歌った回が観れて、最高に嬉しくて何回も見返したことを覚えている。

 

握手会、ミーグリ、ライブの類いには一回もリアルで行けなかった。正確には行けたけど、私に勇気が足りなくて行かなかった。普通に、”親に相談できなかった”というやつだ。

今考えてみると「そんなアホらしい考えはやめて実行しろよ!」と思うのだけど、もう遅い。

親は私が乃木坂を好きなことを知っていたけれど、なんか言い出せなかった。そんなこと言われたこともないのに、「そんなことに金を使うな」とか言われそうで(お小遣い制ではなく申告して都度もらう感じだったから、ちゃんとした理由じゃないと言い出しにくかったのだ、たぶん)(高校はバイト禁止だったし、唯一できた英検バイトの給料も、乃木坂の配信ライブを買ったらそれで終わってしまうくらいだった)。

 

心底後悔している。

もしこの文章をここまで読み進めてくれた心優しい中高生がいるのなら、私とおんなじだったりしたら、どうかチャレンジだけでもしてみて欲しい。後悔など一つも無いように好きなものを推せ。大学一年生とかいうほとんど同年代からのアドバイスだよ。

 

でも、乃木坂の配信ライブは結構好きだったな。ほとんど推しの卒コンなんだけど。

特に、10年目のバスラ。これは北川さんの話じゃなくなってしまうからここでは短くとどめるけど、あの日画面越しにでも私の青春が蘇ったことは、絶対一生忘れない。

 

 

 

そう、端的に言って、乃木坂は私の青春だった。こういう言い回しはよくアイドルが卒業する時に言う台詞なんだけど、応援する側の私もずっとそう思っている。

オタク友達がいたわけでもなく、現場に行ったこともなく、ただ画面越しに眺めていた私みたいな奴にも、乃木坂は青春をくれた。

新しい音楽に触れて、かわいい歌声に触れる楽しさと新鮮さ。

綺麗で繊細な衣装を隅々まで観察して絵に描くこと。

歌詞を読んで考察し、深く心が動かされる感覚。

ダンスは詳しくないけど、北川さんの手の下ろし方、目線の動かし方、スカートの揺れ方も全部好きだった。

ライブや舞台裏の映像などから見える仲の良さ。

mvの緻密な映像美、その物語の尊さ。

個人pvで輝く個性と、演技。

シンメの尊さ。

選抜/アンダーの残酷さと、そうすることでまた両者が強くなること。

大好きなメンバーが卒業していくということ。

 

青春はもとより、美しくて苦いものだ、と思う。私は青春を自分自身で体感していないから乃木坂にもらったものでしか語れないけど。

だから、卒業は、必要なのだ。

 

 

この真理を、理解しながらずっと受け入れられない。

この真理を受け止めるのが、応援すればするほどに辛くなってきた。

 

思えば、私が乃木坂オタクをしていた五年間、ずっと卒業という話題が乃木坂を付きまとっていたように思う。

生駒ちゃんがMステラストの回のシンクロニシティを観てオタクになった私が、結局西野さんを”卒業”という色眼鏡なしで応援できたのは、「ジコチューでいこう!」の三ヶ月間だけだった。

結局乃木坂を知れば知るほど、1、2期生だけだった時の2014~15年がやっぱり一番好きで、「もうどうしようもないな」と思っていたときに北川さんを好きになった。

 

まあやっぱり、私は北川悠理さんにすがっていたんだと思う。変わっていくグループを戸惑いながら受け止める中で、北川さんは光って見えた。

「これが”推し”ってことか」と深く実感した。

西野さんが卒業してからずっと”なんとなく箱推し”状態だったところから、一気に北川さん単推しになって、グループを見る目も変わったと思う。

 

それで、「単押しってキツいなぁ」とも思った。

 

ライブを観ているとき、カメラが引きの時は目を懲らして推しメンを探す。顔のよりになったら一瞬でも押しが観れたら、と思う。

mvを観るときも大体こんな感じで、いつの日かに「あれ?」となった。

 

昔は、もっとmv楽しめてたよな。

背景美術の美しさ、衣装のかわいさ、ストーリーとその裏に込められた意味。

推しメンが沢山カメラに抜かれる人は幸せだけど、そうじゃない人もいるわけで。

 

ただ、一瞬カメラに抜かれただけで、推しメンはこの苦しさを帳消しにしてしまう、そんな魔法を持っている。

きっと今の私がライブに行っても、双眼鏡片手に推しメンを追いかけ続けていたんだろうなぁ、と容易に想像がつく。

 

そんな感じで推しメンに飢えていたので、卒業間近のこの供給の嵐に、もうついていけてない自分もいる。というか、5年推していても知らなかったことが多すぎて自分の無知さにあきれてもいる。まあ生活環境がガラッと変わって大変ということもあるのだが。

 

とにかくこの一週間は走り抜けなければいけない。

現に今、ファンレターの下書きとファンレターに同封しようと思っている絵、最後にレターで見せたい絵の三つが完成していない。

本当にこんなにちゃんとブログを書いている場合ではないのである。

 

 

ちょっと意味分からないくらい忙しくて、大好きで大好きなものとのお別れという悲しい一週間が、始まってしまった。

もう抜け殻になっても良いから、この一週間だけは北川さんのことだけ考えていたい。

 

明日はファンレターを完成させよう。